工房日記(日々徒然)
日常茶飯。亀更新になりますがよろしくお願いします。
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霧が晴れた(暗い話注意)
小学校6年の頃の話・・だから、もう四半世紀以上昔の事だけど、今になってやっと当時の自分の心境を説明する事が出来たというか、自分で自分の心境を把握出来た。
当時の私が給食当番の班長をやっていた時の出来事だ。
給食の時間が終わってお昼休みになって、給食センターの方にクラスの食器とかおかずの入ってた鍋とかを返却するわけだけど、何故か私が返しに行こうと声を掛けても皆無視したというか、聞こえない振りで教室で遊んでいた。
担任の先生はその場に居たか居なかったかはっきりしない。
当時の私は・・いや、ある意味今もだけど、クラスでは浮いた存在というか孤立してたというか親しい友達はいなかった。
なので、ああ、またいつもの嫌がらせかな、と思って、でも班長だし、食器持っていかないわけにもいかんからと、私は皆に協力してもらうのは諦めて1人で食器を返却する事にした。
クラスは42、3人居たんで、校舎の3階か4階にあった教室から1階の給食センターまで食器運ぶのは重くて辛かったし、そもそも1人なんでいっぺんに持ってくのは無理だから、何度か往復しないといけなかったけど、自分は1人で最後までやり遂げるつもりでいた。
で、往復3回目か4回目かぐらいで教室に行ったら、誰も中にいなくて食器もなくて、先生がいて、先生が頼んで皆わざと無視してたと種明かしをした上で何か注意をされた記憶があるんだけど・・その時、自分は先生に自分の心境を上手く説明出来なかった。
何故、自分1人では無理があると薄々察していたけど、改めて人にお願いというか頭を下げられなかったのか。
まあ今もそうなんだけど、私は元から誰かに好かれてるって自信というか確信というのは全然なかったし、まして当時の状況で自分が人に物を頼んでも大抵断られるというか嫌がられるだろう事は目に見えてるわけだし・・すなわち自分が嫌われてるって自覚はちゃんとあったんだけど、でもね。
何か頼み事をした時に、一瞬迷惑そうというか困ったような顔をされるのを見るのが何より自分は辛かったんだ。その事で、自分が人に好かれてないって事を改めて目の当たりに突きつけられても平然としてられる程、自分は神経太くはなかった。だから、人のそんな顔を見るよりは、例えどんなに不安でも心細くてもしんどくても、最初から人をあてにせず1人で頑張る方が自分にはずっとマシだった。
当時の自分の心境を、今になってやっとちゃんと言葉にする事が出来たよ。そしてちょっと泣けた。
もちろん、自分の事が好きなら、言えば何でも引き受けてくれて然るべきなんて考えてるわけじゃないんだよ?ただ、あてにするにしたって、自分だって何も考えずに頼み事をするわけじゃない。自分とその人の関係性とかその人の状況とか嗜好とかは事前に考慮して、大丈夫そうだと判断してからはじめてお願い事をする・・まあでもその段階で、大抵、あ、無理だなと思うんで、私は家族にもお願い事というものをした試しはないんだけど。
別に1人で何でも出来る程器用でもないんだけどね。
1人で平気だったわけでもないけどね。
それでも、誰かをあてにしていいものかどうか確信が持てない以上は何でも1人でやる以外なかった。自分のような人間に誰かを頼りにする資格があるとは思えなかったから。
そういや、高校生の時に、先生に、あなたはお嬢さんだねって言われた事もあったな。プライドが高いとか人に頭を下げないとか、まあそういう意味なんだと私は解釈したんだけど、正直ピンとはこなかった。いや、プライドったって、私は自分というものに全然自信ないっていうかむしろ自分の事嫌いだし・・それでプライドが高いって、はてどういう事??って。
自分が悪い事をした時にごめんなさいって頭を下げるのは、俺比較的ちゃんとやってきてると思ってるんだけどね。
でもこれも、つまりはさっき書いた、小学校6年の時の自分の心境と同じ事なんだろうなと納得がいった。
ちなみに、以前ここで書いたけど、中学校の時に、突然仲良くしてきて突然去っていった人から、先生に頼まれて仲良くしたけどやっぱり嫌なんで、と言われた事で、私は自分というものに完全に自信無くしたというか打ちひしがれたんで(人に無理させてたんだって事に全然気が付いてなかった自分の莫迦さ加減とか、自分には誰かに自発的に好きになってもらえるような魅力はないんだって思い知ったとか、そういう点で打ちひしがれたんだけど)小学校の頃よか更に人に好かれてる気はしてなかったんだけど。
いちいち事例は挙げないけど、自分の主観だけではなくて、客観的事実もいくつもあったからね。
何か困った事があった時に、人に相談してみようと思える人は幸せだと俺は思う。
誰かに、一緒に何かしませんかどこか行きませんかと呼びかけられる人は幸せだと俺は思う。
俺にはそんなあてはなかったから。少なくとも、自分の方で誰かをあてにしていいとは思えなかったから。そもそも、あてに出来る絶対数自体人よりはるかに少なかったから。この指止まれと言ってみた所で誰かが反応してくれる期待も持てなかったし、逆に私が、何かを一緒にやりませんかと誰かに声を掛けられた事も、覚えてる限り2、3度あったかなかったか。余程人望がないというか、やっぱ好かれてないんだろうなあと思って、じゃあそんな自分じゃ声掛けても(好意を持たれても)迷惑かなと思って遠慮する孤独のスパイラル状態。
そして、こんな事を書き連ねてみてはいるけど、おそらく周囲の誰にも理解はしてもらえないだろうという意味では、二重の意味で自分は孤独だと思う。
この先、本当に困った事があっても、自分は1人で頑張れるだけ頑張った末に、1人黙って死んでいくのかもしれない。
幸い、死んでからなら、こんな自分にもあてはあるから。
給食の時間が終わってお昼休みになって、給食センターの方にクラスの食器とかおかずの入ってた鍋とかを返却するわけだけど、何故か私が返しに行こうと声を掛けても皆無視したというか、聞こえない振りで教室で遊んでいた。
担任の先生はその場に居たか居なかったかはっきりしない。
当時の私は・・いや、ある意味今もだけど、クラスでは浮いた存在というか孤立してたというか親しい友達はいなかった。
なので、ああ、またいつもの嫌がらせかな、と思って、でも班長だし、食器持っていかないわけにもいかんからと、私は皆に協力してもらうのは諦めて1人で食器を返却する事にした。
クラスは42、3人居たんで、校舎の3階か4階にあった教室から1階の給食センターまで食器運ぶのは重くて辛かったし、そもそも1人なんでいっぺんに持ってくのは無理だから、何度か往復しないといけなかったけど、自分は1人で最後までやり遂げるつもりでいた。
で、往復3回目か4回目かぐらいで教室に行ったら、誰も中にいなくて食器もなくて、先生がいて、先生が頼んで皆わざと無視してたと種明かしをした上で何か注意をされた記憶があるんだけど・・その時、自分は先生に自分の心境を上手く説明出来なかった。
何故、自分1人では無理があると薄々察していたけど、改めて人にお願いというか頭を下げられなかったのか。
まあ今もそうなんだけど、私は元から誰かに好かれてるって自信というか確信というのは全然なかったし、まして当時の状況で自分が人に物を頼んでも大抵断られるというか嫌がられるだろう事は目に見えてるわけだし・・すなわち自分が嫌われてるって自覚はちゃんとあったんだけど、でもね。
何か頼み事をした時に、一瞬迷惑そうというか困ったような顔をされるのを見るのが何より自分は辛かったんだ。その事で、自分が人に好かれてないって事を改めて目の当たりに突きつけられても平然としてられる程、自分は神経太くはなかった。だから、人のそんな顔を見るよりは、例えどんなに不安でも心細くてもしんどくても、最初から人をあてにせず1人で頑張る方が自分にはずっとマシだった。
当時の自分の心境を、今になってやっとちゃんと言葉にする事が出来たよ。そしてちょっと泣けた。
もちろん、自分の事が好きなら、言えば何でも引き受けてくれて然るべきなんて考えてるわけじゃないんだよ?ただ、あてにするにしたって、自分だって何も考えずに頼み事をするわけじゃない。自分とその人の関係性とかその人の状況とか嗜好とかは事前に考慮して、大丈夫そうだと判断してからはじめてお願い事をする・・まあでもその段階で、大抵、あ、無理だなと思うんで、私は家族にもお願い事というものをした試しはないんだけど。
別に1人で何でも出来る程器用でもないんだけどね。
1人で平気だったわけでもないけどね。
それでも、誰かをあてにしていいものかどうか確信が持てない以上は何でも1人でやる以外なかった。自分のような人間に誰かを頼りにする資格があるとは思えなかったから。
そういや、高校生の時に、先生に、あなたはお嬢さんだねって言われた事もあったな。プライドが高いとか人に頭を下げないとか、まあそういう意味なんだと私は解釈したんだけど、正直ピンとはこなかった。いや、プライドったって、私は自分というものに全然自信ないっていうかむしろ自分の事嫌いだし・・それでプライドが高いって、はてどういう事??って。
自分が悪い事をした時にごめんなさいって頭を下げるのは、俺比較的ちゃんとやってきてると思ってるんだけどね。
でもこれも、つまりはさっき書いた、小学校6年の時の自分の心境と同じ事なんだろうなと納得がいった。
ちなみに、以前ここで書いたけど、中学校の時に、突然仲良くしてきて突然去っていった人から、先生に頼まれて仲良くしたけどやっぱり嫌なんで、と言われた事で、私は自分というものに完全に自信無くしたというか打ちひしがれたんで(人に無理させてたんだって事に全然気が付いてなかった自分の莫迦さ加減とか、自分には誰かに自発的に好きになってもらえるような魅力はないんだって思い知ったとか、そういう点で打ちひしがれたんだけど)小学校の頃よか更に人に好かれてる気はしてなかったんだけど。
いちいち事例は挙げないけど、自分の主観だけではなくて、客観的事実もいくつもあったからね。
何か困った事があった時に、人に相談してみようと思える人は幸せだと俺は思う。
誰かに、一緒に何かしませんかどこか行きませんかと呼びかけられる人は幸せだと俺は思う。
俺にはそんなあてはなかったから。少なくとも、自分の方で誰かをあてにしていいとは思えなかったから。そもそも、あてに出来る絶対数自体人よりはるかに少なかったから。この指止まれと言ってみた所で誰かが反応してくれる期待も持てなかったし、逆に私が、何かを一緒にやりませんかと誰かに声を掛けられた事も、覚えてる限り2、3度あったかなかったか。余程人望がないというか、やっぱ好かれてないんだろうなあと思って、じゃあそんな自分じゃ声掛けても(好意を持たれても)迷惑かなと思って遠慮する孤独のスパイラル状態。
そして、こんな事を書き連ねてみてはいるけど、おそらく周囲の誰にも理解はしてもらえないだろうという意味では、二重の意味で自分は孤独だと思う。
この先、本当に困った事があっても、自分は1人で頑張れるだけ頑張った末に、1人黙って死んでいくのかもしれない。
幸い、死んでからなら、こんな自分にもあてはあるから。
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