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工房日記(日々徒然)

日常茶飯。亀更新になりますがよろしくお願いします。
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感銘を受けるという事

 えー、これは昨日の日記の補足みたいなものなんで・・今日の日記はそんな暗くはないが(ま、人によっては癪に障る内容かもしれないが)この日記が補足してる所の昨日の日記は暗いんで読む際は注意して下さいまし。

 先日のジェネジャンSPの中で、ペトロさんって方が、かつて余命2年と宣告されて番組に出演して去年4月に小説を出版した直後に亡くなった奥山さんの葬式に(ジェネジャンで共演?した)ふかわさんや秋山さんが、出席もせず花も出さず、彼の小説も買ってないし読んでない事に関して彼を忘れないってそういう事かと腹を立てていた一幕に関して、私、昨日の日記でそれは違うだろと思ったって旨を書いたんですが。
 あれをもっと正確に言うと、私も奥山さんという人がいた、その(余命を宣告されてからの)生き様つーか死に様には感銘を受けたし、ちゃんとなりたかったものになれて死んでいった、公約を果たして亡くなったという事に関しては凄いと思うんだけど、でも私は彼の本は読まないし買わないから、ペトロさんがふかわさんを責めてたのはちょっとおかど違いだと思ったという事で。

 死者に鞭打つつもりもないんだが、若くして逝った人がいる・・その生活をブログに綴ってた、死ぬ前に自分の願いを見事に叶えて逝った、それに感動したっていうのと、彼のブログの内容に感銘を受け、小説も買ってみようかなーっていうのは私にとっては別物なんですよ。
 個人的に言わせてもらえれば、数ある死に方のうちで、病気で余命を宣告されるっていうのは、私から見ればかなり上等な部類に入るんですが。事故や通り魔的な殺人で、何の覚悟も準備もさせてもらえず逝ってしまう事と比較すればね。本人にとって苦悩が長く続く代わりに、いろいろ準備をして、奥山さんのように(全部ではなくてもある程度は)願いを叶える猶予がある方がいいのか、苦しまずさっさとあの世に旅立てる方がいいのかは好みの問題かもしれないが、私は準備させてもらえるならその方がいいなあと思う方なんで。

 彼のブログを読んでみて・・言葉悪いかもしれないが、あそこにあるのはあくまでスタイリッシュな死に様、カッコイイ死に様であって・・・多分に演出された『日記』であり、あれが彼の本当の肉声であるとは私には思えなかったし、それだけが理由ではなく、もっと単純に文章(彼の言動)に対する好みの問題で、私はその文章に感銘は受けなかったから彼の小説を読みたいとは思わなかったという事で。
 あくまで私の推測だけど・・だから事実と違ってたら申し訳ないが、でももう御本人に確かめようもないんだけどさ。何ていうかな、病状や検査結果を書くだけならまだしも、あまりに生々しい心情とか綴ってると中には敬遠して閲覧しない人が出てくる恐れがあるわけでしょ?私は『日記』であって『闘病記』なら別にどんどん弱音吐いていいじゃんと思うんだが・・見ている人がいる(できれば見る人を減らしたくない)、すなわち『人に見せてもいい(許せる)自分』というものにこだわった、彼の(もしくはまあ出版社の、ですね)『演出(スタイル)』が彼のブログの端々に見えるわけで。
 彼自身日記で、要するに自分の本買ってもらいたいんだ、そういう仕事が出来てなんぼだ、感想くれる人がいるのも嬉しいが本買ってくれる人がいるのはもっと嬉しいという主旨の事をおっしゃっているから・・より多くの人にブログを見てもらい、出来れば本を買ってもらう為にある種『演出』をつけるっていうかな?突き放したような、あまり情緒的でない描写をするっていうのが、つまり御本人が選択した『見せ方』であるという事には、私、別段文句を言う気はないんだけど、ただ、私はそれを読んだ時にその『見せ物(読み物)』自体に感銘は受けなかったという事で。
 まあ、彼自身、弱音吐いて読者に同情されかねないような・・ぶっちゃけ、読者(他人)から見下ろされてるような状況が嫌で、敢えて自分の心情を吐露するような事は避けてたんだろうなあって感じは、以前NHKの彼のドキュメントを見た時にも受けたんだけど(ちなみに先日のジェネジャンで紹介してたVTR、殆どNHKのドキュメントで見た事のあるものでした)

 こういう書き方をしてると、まるで私が奥山さんの事けなしてるように思われるかもしれませんが・・いや、どっちかというと尊敬しているよ?ブログの内容も、共感出来る部分も沢山あった。ただ、それと私が彼の本を買って読むという行為とは、私の中ではイコールではないという事であって。
 まあ、売れる事、自分の本を買ってくれる人を増やす事が彼の本望であったのなら、そうしない私は彼にとっては悪い読者なのかもしれませんが。
 でもさ、作り手が意図した通りに読者が受け取らないなんて事はごまんとある・・ライターとして生計を立てていらっしゃったのであれば、そんな事は充分御承知だよなあとも私は思うわけで。
 奥山さんが意図された(望む)通りではないかもしれないが、何らかの感銘を受けた人がいて、その人がそれをきっかけに何かを生み出したのであれば・・昨日も書いたが、形は変わってもそこにその本質が宿っている、どこかで繋がってるのなら、それだって充分『忘れ去られていない』事だよね?例え、その事を本人が自覚されていなくても。
 作った物がそのまま(不朽の名作として)残る事、影響されたと自覚してもらえる事、語り継がれる事だけが偉いんじゃない、それだけが意味あることで、そうでなかった物事が全部無駄だというわけじゃない。物書きの端くれとして、なけなしのプライドでもって、私はそう思います。
 死んでいった彼の分までなんておこがましい事を言う気は、はなから毛頭ありませんが、彼とは行く道が違ってる感じだけど、生きてる限り、私は書くのは止めないでしょう。例え売れなくてもね。
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