工房日記(日々徒然)
日常茶飯。亀更新になりますがよろしくお願いします。
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さり気なく1日遅れの日記ですが・・
日記での連載小説を終えてまったりしています(笑)
でもって、定期的に、思い出したように出る「私死んだ方がいいのかも」病の発作が起きていたりもします(苦笑)特別何かあったわけではなく・・逆に言うと何もなかったから発作を起こしてるのかもしれず。
真面目すぎる親っていうのも考えものだよね。いつでも弱音を吐かず弱味を見せず、自分の方が正しくて、子供はいつもいい加減で間違った事ばかりしてるとはなから決めつけ、こっちの話なんて聞きもしないし聞いても無論半信半疑。結果としてあまりまっとうな(周囲に安心して紹介出来るような)生き方をしてるとは言いがたい子供2人を前にしても、それは子供が悪いんであって自分達の育て方が間違っていたかもしれないなんて事は露ほども思ってないというか思いたくないんでしょうねえ。まあ当の子供である私に言われたくもないでしょうが・・ただ、私としては、ちゃらんぽらんで結構なんで、開けっぴろげに失敗したり間違っていたら率直に謝ってくれるような、いつも下から見下ろすような感じじゃなくて、もっとこっちの目線にまで下りてきてくれるような親だったら好きになれたかもしれないなあとは思いますが。
いずれにしても、多分当人達は意識してないけど、人種差別的発言とか、私にとっては(例え自分の事を言われたんでなくても)あまりにも独善的でイタすぎる言動が多いもんで、私の方ではとてもあの人達に心を開けないんですが・・でもだからって別にどうでもいいわけでも大事でないわけでもないのが厄介な所で。
昨日の日記の小説で、「子供を愛せない親はもしかしたらいるかもしれないが親を愛さない子供はいない」と書いた・・あれは私の実感です。
否、正確に言うと、うちの両親が私を愛していないわけではないのだとは思います。ただ、理屈ではそうなんだろうなあとは思うけど、実感としてこっちに伝わってきた事が、少なくとも私の中で思い当たる節がないんですよね。
いつも私の方が悪くて間違っていて、直さないといけない所ばかり・・ずっとそんな風に思い続けなくてはならないのは正直しんどいです。たまには私だって正しい事を言ってる時もあると一歩引いてくれれば、私としても随分気が楽なんですが。
いい人か悪い人かって言ったら、多分いい人なんです2人とも。酒やギャンブルにかまけるわけでもないし、その他犯罪に加担したわけでもなく、確かにまっとうな人生を送っていらっしゃると思います。でも、自分の理解の及ばない範囲のものは皆、下らないもの、しょうもないもの、価値の低いものと見なして、最初から取り合わないような所があるんだよね。ある意味保守的というか封建的というか。かくいう私自身、たまに親並みに保守的というか独善的な部分を自分の中に発見してぞっとする事がありますが。
というか、うーん、やっぱりね、産んで育ててもらったからには、出来る事なら彼等を喜ばせてあげたいって気持ちというのかなあ・・それが出来ない罪悪感みたいなものも、自分のどっかにあるんですね。親の期待に沿えてなくて申し訳ないっていう。私が、何の違和感も疑いもなく、彼等の価値観に沿って生きて行けるような娘だったならば、お互いもっと幸せだったのだろうかと。少なくとも20代の前半までは、いろいろ考えて、想像した所の、理想の娘像に近付く努力もしてたんですが・・。
私の記憶の中に、両親が、私がいてくれてよかったと思ってくれた事が1度でもあったような確たる実感というものがなくて。具体的に言うと、誉められたり肯定されたり支持されたりって事ですね。
反対とか否定とか拒絶された事しか覚えていない・・多分そうじゃない事もあった筈なんだけど思い出せない。それで、私じゃあ駄目なのかなあ、もっと別の子が娘だった方がよかったのかなあ、私生まれてこなかった方がよかったのかなあと思うようになった事が・・最近(といっても、最近になってはっきり意識するようになっただけで、本当はもっとずっと以前から漠然と考えてはいたのかもしれないんですが)ちょくちょく、自分このまま生きてていいんだろうか、この世の誰も私が生きてる事歓迎してないんじゃなかろうか、本当はもう死んだ方がいいのかなあ、と鬱々と考える根本にあるものなのかもしれないと、ふと思ってみたりします。そんな風に考える自分がどうかしてるんだろうなあとは、自分でも思うんですけどね。
家族に愛されている、自分が肯定されていると実感出来る人が羨ましいです。そこを出発点にしたら、何もかも上手くいく気がする・・そんな風に思えるんですよ、私には。
親と私と、お互いに求めていたものと与える事の出来たものが違ってただけで、どっちが悪いんでも何か欠けてたわけでもないと、客観的には納得してはいるんですが・・何か、親相手でそうだと、他の人相手でもどうも確信が持てないんですよね。自分のやり方で大丈夫なのかどうか、自分なりに精一杯努力はするけどそれでも駄目なものは駄目なんだろうなーとどっかで思ってしまってるし、相手の事を今ひとつ信じられていない時点で、そういう自分に欠陥がある気がするわけで。
おかしな自分、他の人が当たり前のように感じられる事が感じられない自分ってやっぱり駄目でしょうと。こういう場合、自分を変えた方がいいんでしょうが、でも、どうやったら自分に自信が持てるのか、方法が分からないんで・・・いっそ生まれる所からやり直した方がいいんじゃないかと考えるわけで。
やっぱり、自分の尻尾を追い掛けてぐるぐる回ってる犬になった気分です(苦笑)
真面目すぎる親っていうのも考えものだよね。いつでも弱音を吐かず弱味を見せず、自分の方が正しくて、子供はいつもいい加減で間違った事ばかりしてるとはなから決めつけ、こっちの話なんて聞きもしないし聞いても無論半信半疑。結果としてあまりまっとうな(周囲に安心して紹介出来るような)生き方をしてるとは言いがたい子供2人を前にしても、それは子供が悪いんであって自分達の育て方が間違っていたかもしれないなんて事は露ほども思ってないというか思いたくないんでしょうねえ。まあ当の子供である私に言われたくもないでしょうが・・ただ、私としては、ちゃらんぽらんで結構なんで、開けっぴろげに失敗したり間違っていたら率直に謝ってくれるような、いつも下から見下ろすような感じじゃなくて、もっとこっちの目線にまで下りてきてくれるような親だったら好きになれたかもしれないなあとは思いますが。
いずれにしても、多分当人達は意識してないけど、人種差別的発言とか、私にとっては(例え自分の事を言われたんでなくても)あまりにも独善的でイタすぎる言動が多いもんで、私の方ではとてもあの人達に心を開けないんですが・・でもだからって別にどうでもいいわけでも大事でないわけでもないのが厄介な所で。
昨日の日記の小説で、「子供を愛せない親はもしかしたらいるかもしれないが親を愛さない子供はいない」と書いた・・あれは私の実感です。
否、正確に言うと、うちの両親が私を愛していないわけではないのだとは思います。ただ、理屈ではそうなんだろうなあとは思うけど、実感としてこっちに伝わってきた事が、少なくとも私の中で思い当たる節がないんですよね。
いつも私の方が悪くて間違っていて、直さないといけない所ばかり・・ずっとそんな風に思い続けなくてはならないのは正直しんどいです。たまには私だって正しい事を言ってる時もあると一歩引いてくれれば、私としても随分気が楽なんですが。
いい人か悪い人かって言ったら、多分いい人なんです2人とも。酒やギャンブルにかまけるわけでもないし、その他犯罪に加担したわけでもなく、確かにまっとうな人生を送っていらっしゃると思います。でも、自分の理解の及ばない範囲のものは皆、下らないもの、しょうもないもの、価値の低いものと見なして、最初から取り合わないような所があるんだよね。ある意味保守的というか封建的というか。かくいう私自身、たまに親並みに保守的というか独善的な部分を自分の中に発見してぞっとする事がありますが。
というか、うーん、やっぱりね、産んで育ててもらったからには、出来る事なら彼等を喜ばせてあげたいって気持ちというのかなあ・・それが出来ない罪悪感みたいなものも、自分のどっかにあるんですね。親の期待に沿えてなくて申し訳ないっていう。私が、何の違和感も疑いもなく、彼等の価値観に沿って生きて行けるような娘だったならば、お互いもっと幸せだったのだろうかと。少なくとも20代の前半までは、いろいろ考えて、想像した所の、理想の娘像に近付く努力もしてたんですが・・。
私の記憶の中に、両親が、私がいてくれてよかったと思ってくれた事が1度でもあったような確たる実感というものがなくて。具体的に言うと、誉められたり肯定されたり支持されたりって事ですね。
反対とか否定とか拒絶された事しか覚えていない・・多分そうじゃない事もあった筈なんだけど思い出せない。それで、私じゃあ駄目なのかなあ、もっと別の子が娘だった方がよかったのかなあ、私生まれてこなかった方がよかったのかなあと思うようになった事が・・最近(といっても、最近になってはっきり意識するようになっただけで、本当はもっとずっと以前から漠然と考えてはいたのかもしれないんですが)ちょくちょく、自分このまま生きてていいんだろうか、この世の誰も私が生きてる事歓迎してないんじゃなかろうか、本当はもう死んだ方がいいのかなあ、と鬱々と考える根本にあるものなのかもしれないと、ふと思ってみたりします。そんな風に考える自分がどうかしてるんだろうなあとは、自分でも思うんですけどね。
家族に愛されている、自分が肯定されていると実感出来る人が羨ましいです。そこを出発点にしたら、何もかも上手くいく気がする・・そんな風に思えるんですよ、私には。
親と私と、お互いに求めていたものと与える事の出来たものが違ってただけで、どっちが悪いんでも何か欠けてたわけでもないと、客観的には納得してはいるんですが・・何か、親相手でそうだと、他の人相手でもどうも確信が持てないんですよね。自分のやり方で大丈夫なのかどうか、自分なりに精一杯努力はするけどそれでも駄目なものは駄目なんだろうなーとどっかで思ってしまってるし、相手の事を今ひとつ信じられていない時点で、そういう自分に欠陥がある気がするわけで。
おかしな自分、他の人が当たり前のように感じられる事が感じられない自分ってやっぱり駄目でしょうと。こういう場合、自分を変えた方がいいんでしょうが、でも、どうやったら自分に自信が持てるのか、方法が分からないんで・・・いっそ生まれる所からやり直した方がいいんじゃないかと考えるわけで。
やっぱり、自分の尻尾を追い掛けてぐるぐる回ってる犬になった気分です(苦笑)
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